学生の頃、心底憎んでいたものがある。缶のペンケースである。
端っこに写っているようなやつ。
これを授業中に机から落下させたときに響き渡る爆音が本当に嫌いだった。こっちはノートを取るのに集中しているので、不意に大きな音が鳴るとビクッとしてしまう。そんなに?と思うかもしれないが、缶のペンケースを落とすと、想像以上にヤバい大きさの音が鳴る。缶のペンケースを使うなら床に落とさないでほしかったし、床に落とすなら缶のペンケースを使わないでほしかった。もしも僕が校長先生になったら、真っ先に缶のペンケースの使用を禁止とする校則を作ろうと思っているが、僕が校長先生になることは永遠にないので、残念ながらその校則は作れない。
思えば僕は大きな音が嫌いだ。コロナ禍になる前は年に数回、仙台に行ってイーグルスの試合を観に行っていた。7回の攻撃前(ラッキーセブン)に応援歌に合わせてジェット風船を飛ばすのだが、周りの観客がジェット風船を膨らましている時間は地獄だ。ジェット風船を破裂させる人がけっこういる。真後ろで破裂させられたときは本当に寿命が縮まった。その点、スワローズのラッキーセブンは素晴らしい。傘を振るだけなので何も破裂しない。もしかしたら僕がスワローズを好きになった理由はそれなのかもしれない(違うよ♪)。
これが、大きい音が鳴ると分かっているものだったら全然平気だ。例えば打上花火だったら、光が咲いた数秒後に爆音が鳴ると知っている。だけど、缶のペンケースはいつ落ちるか分からないし、ジェット風船はいつ破裂するか分からない。だから許せない。
この世は音で溢れている。リラックスできる音ばかりならいいが、缶のペンケースの落下音やジェット風船の破裂音は駄目だ。缶のペンケースを落とした音を合図に、校舎の窓から皆で一斉にジェット風船を飛ばすような体験をできたのならば、少しは認められるかもしれない。その時打上花火が上がったら、尚良い。