ポンキッキーズでやってた

一人暮らしを始めてからクリーニング屋を利用する機会が増えた。

基本的には自宅で洗濯機を使用しているが、スーツや大きい布団などは自宅の洗濯機で洗うには厳しいし、Yシャツなんかも自宅での洗濯では襟元の汚れが取れにくい場合があるため、そんなときにはプロの力を借りているって訳だ。

すごく当たり前のことを言うが、クリーニング屋に頼むとすごく綺麗になるので良い。スーツはパリッと仕上げてくれるし、布団はホワホワに仕上げてくれる。ここにチューリップのアップリケがあればトイレの花子さんのお出ましだ。伝わるか?

僕が行っているクリーニング屋は行く度に40%割引きのクーポンをくれる。しかも使用期限が2週間程度というすごく絶妙な設定となっているので、ついつい「使わねば!」と思ってしまう。コタツ用の布団なんかもそろそろクリーニングに出そうと思っていたので、しばらくはクーポン券の需要はちゃんとあるが。

今日なんかは季節外れの暑さだった。朝に洗濯物を外に干していったら、帰りにはちゃんと乾いていた。普通の洗濯をするだけなら、クリーニング屋を無理して使う必要はないのだ。クーポン券に振り回されてはいけない。あるいはクリーニング屋の策略か、はたまた妖怪や幽霊の仕業か。闇の世界に連れ戻しなさい。

箸を正しく持てない。

僕は今年で31歳になる。この年でこんなことを言うのも恥ずかしいやら情けないやらえんやらやだが、どうにもちゃんと持てないのだ。

もちろん小さい頃に親から指摘されており、正しい持ち方について指南された。よく、1本の箸を鉛筆を握るように持って、もう1本の箸は親指の付け根付近に置くみたいな教え方をされたが、その握り方だと指が全く動かせなかった。僕の体はどうやらそのようにプログラミングされているようだ。

躾箸なんかも使わされたが、気づいたら輪っかをシカトしてオリジナルの持ち方で使用していた。ほどなくして、親は箸の持ち方について何も言われなくなった。

箸の持ち方に正しい型があるのだとしたら、人それぞれに正しい型ってあるよね、ではいけないのだろうか。服装自由の企業も増えている。次は箸の持ち方を自由にする番にしてはどうか。

正しい箸の持ち方をしていないとマナー違反になると言われたことがある。僕はこれまでいろいろな場所で(世間的に)正しくない箸の持ち方をしてきたが、それを誰かに指摘されたことって、考えてみたら一度もない。他人の箸の持ち方って、周りはほとんど気にしていないのかもしれない。

今日も僕はオリジナルの箸の持ち方でご飯を食べる。美味しいご飯を前に、箸の持ち方を気にする余裕はない。

前線

早いもので4月も10日を過ぎた。僕が暮らしている秋田県由利本荘市でも本格的に桜が開花したようである。

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もはや春を通り越して初夏って感じの暖かさだが、本格的に春が始まったような気分になる。桜いいっすよねマジでマジでいいっすよね桜(早口)。

今日は実家に帰っているが、由利本荘市中心部ではほぼ満開だったにも関わらず、僕の実家近くの桜は全然咲いていなかった。同じ由利本荘市内でも咲くタイミングは異なるようだ。考えていたら当たり前なんだけど、ちょっと面白い。桜前線はそこまで規則的ではないということか。

桜前線という言葉はメディアが生み出した造語らしく、気象庁の正式用語では「さくらの開花予想の等期日線図」というそうだ。たぶん明日には忘れている。

桜前線が南から北へ進む一方で、紅葉前線は北から南へ進む仕組み、なんとなく分かるようで分かっていない。「今年の桜前線はなんか知らんけど東北地方からスタートです」なんとことにはならないのだろうか。

五月雨を

僕は全然グルメではないので、大抵の料理は美味しく食べられる。言ってしまえば馬鹿舌ってやつだ。馬鹿とはなんだ失礼な奴だな。

お店で食べるラーメンはもちろん美味しいが、カップラーメンも美味しい。お菓子屋さんで売っている300円くらいのプリンはもちろん美味しいが、スーパーで安く買えるプリンも美味しい。本来であれば値段と味は比例するはずで、それを見極められる舌を持つべきなのだろうけど、大抵の場合、僕は等しく美味しいと思ってしまうのだ。果たしてそれが幸せなのか不幸なのか。とりあえず、個人的には満足している。

しかし牛丼。これは明確に人生で一番美味しかったと呼べる牛丼がある。20年ほど前に山形県で食べた牛丼だ。

最上川の川下りを体験しようと家族で山形県まで出掛け、その近くのお店で食べたと記憶している。値段は確か1000円くらいだったか。味噌汁やサラダなんかもついていたはずだ。ブランド牛を使っていたのかは知らないが、とにかく美味しかった。川下りそのものよりも牛丼の方が記憶に残っているくらいだ。それはそれでどうなのって思うけど。

牛丼を食べる機会は多い。チェーン店で食べることもあるし、自分で作ることもある。チェーン店の牛丼は言うまでもなく美味しいし、自分で作ったものもそれなりの味になるので、そこそこ満足できる。だけど、ふとした拍子にあの日山形で食べた牛丼が脳裏によぎるのだ。どうしてもあの味を求めてしまう。

なんていう名前の店だったか覚えていないし、そもそも今も存在する店なのか分からない。あの日食べた牛丼の味を最上川に流していたら、僕はもっと幸せだったかもしれない。

外出

午後から仕事の用事で外出した。

毎回、職場の先輩方から外出を依頼される場合、すごく申し訳無さそうにされるのだが、僕としては外出の機会を与えてくれてむしろ有難い。デスクワークだけだとどうしても体が凝り固まってそのまま要石になりそうなので、外出することでリフレッシュになるのだ。今日みたいなお天気の日ならば尚更良い。

今日の行き先は銀行×4、宅配会社、医療機関×2。多いけれどもだいたい同じ方向にあるので、全く面倒ではない。仕事兼プチドライブの始まりである。

先週くらいまでは街に学生さんの姿が多く見られたが、新学期を迎えたからか今日はほとんど見られなかった。新しい環境にまだソワソワしているだろうか。僕自身は学生時代、今くらいの時期はまだソワソワしていた。新しい友人が一人、二人と増える度に落ち着きを取り戻したものだ。

由利本荘市の桜はまだほとんどが蕾の状態。もう何日かしたらある程度花を咲かせてくれるはず。本荘公園では既に桜祭りが始まっており、週末には新しい友人を作った学生で溢れかえるだろう。というか、そうであってほしい。

とある銀行に寄ったら、窓口の方が(おそらく)新人さんだった。手元に手書きのメモを置きながら、先輩に分からない箇所を確認しながら、丁寧に丁寧に接客してくれた。「お待たせしてしまい大変申し訳ございませんでした」なんて最後に言われたが、初めてのことをしているのだから、謝る必要などないのだ。僕は以前勤めていた職場で先輩にやり方を確認した上で間違えたことがあるので、少なくとも僕よりはだいぶちゃんとしていますよ。

どこもかしこもフレッシュさが漂っている。柑橘系の果物を丸齧りしたような気分。できるだけ、誰も酸っぱい思いをしない春になればいい。

おかかはどこへ消えた?

おかかがどこにも売っていない。

おかかが欲しくてスーパーを3件巡った。おかか昆布とかおかかゴボウみたいな、おかか+αの品物は売っているが、おかかだけは売っていない。何も着飾っていないおかかが欲しいのだ。おかかが既に着飾った鰹節なのでは?とか言う子は…ぶつよ。

おかか入りのおにぎりは売っている。しかし僕がほしいのはこれからおにぎりの中に入るおかかなのであって、既におにぎりの中に入っているおかかではない。無限の可能性を秘めたおかかが欲しいのだ。

おかか味のふりかけは売っている。だけど、ふりかけはご飯の上に乗せることを主たる目的としているのであって、おにぎりの中に入ることは想定されていないだろう。実際、おにぎりの中に入れられるふりかけの気持ちを思うと、僕も泣きそうになってしまう。

たぶん、とは言っても確信に近いたぶんだが、世の中からおかかが突然消えたのだ。こんなにも純粋なおかかが見つからない訳が無い。或いは誰かにおかかを隠されたのか。

ベストセラー『チーズはどこへ消えた?』(スペンサー・ジョンソン著)では、チーズが「私たちが求めている物」とされて物語が進行していく。失くなったチーズを求めて、別の場所へ探しに行く者、その場に留まったまま行動を起こさない者…。

現在、僕にとってのチーズはおかかなのだ(おかかチーズ美味しい)。チーズが世の中から消えて失くなった現状に、果たして、僕は。

Rake

この土日は疲れが取れなかった。そりゃあ秋田市へ出掛けたり、宿直をしたり、タイヤ交換をしたりと、なかなか動き回った土日だったから多少は疲れる。30歳を過ぎたことによる回復力の衰えももちろんあるだろう。しかし今回の疲れはそういうことではない。理由は分かっている。くしゃみをたくさんしているからだ。

春が本格的に始まったことにより、花粉症も勢いを増してきた。花粉症持ちの僕にとってこの時期は辛い。一度くしゃみをしたらコンボを決めるかのようにくしゃみが連鎖する。これは完全に誇張しているのですが、この土日だけで100万回はくしゃみをした。100万回の「I love you」。「愛してる」の言葉じゃ足りないくらいに君が好き。花粉は嫌い。

くしゃみを1回することで消費されるカロリーは4kcal。100mダッシュと同じくらいのカロリーだそう。ということは、くしゃみを10回すれば1000m即ち1km走ったのと同じだけの体力を使っている訳だ。そりゃあ疲れるに決まっている。100万回もくしゃみなんてしてられない。

あと、くしゃみは体にけっこうな負荷を与えているらしく、くしゃみをして肋骨を骨折した人もいるらしい。そんなの、悔やんでも悔やみきれないよ。一応、くしゃみをするときに肋骨のあたりを抑えてくしゃみすると予防になるらしいが、なんでこっちがそこまでやらなくちゃいけないのだ?という気持ちになる。

それによって生じる影響を一切考慮せずに言わせてもらうと、なんとかして杉を根絶やしにしたい。もちろん、無理なのは百も承知だけれど。

とりあえず僕は、花粉症の時期が過ぎるまで疲れすぎないように、肋骨を折らないように耐え忍ぶしかない。ちょっぴりブルーだ。