それでも気持ちは伝わるだろう

20代中盤あたりから、3万円を新札で用意する機会が多くなった。無論、結婚式の御祝儀として包むためである。

今回は、僕が保育園に入る前から仲良くしていた友達の結婚式だ。場所は東京。コロナ禍といこともあり、医療機関勤めの僕は出席を自粛したが、どうしてもお祝いをしたくて、出席する友達に届けてもらうことにした。

新札を用意する理由には諸説あるが、誰も使用していないお札を用意する=二人の新しい門出をお祝いする、という意味が込められているらしい。貰う側は使い古されたお札よりも、新札の方が嬉しいのだろうか?それとも、全然気にしていない?僕は御祝儀を貰う側になったことがないから分からない。でも、新札を用意するためには、基本的にATMではなくて、銀行の窓口に行かなければならない。おめでとうの気持ちを伝えるための手段として、ちょっとした手間ぐらいかけてもいいのかもしれない。

それにしても、学生の頃仲が良かった友達が結婚すると、だいぶ遠くに行ってしまった気がする。大人として次のステージへ進んだ感覚だ。学生時代、同じように馬鹿なことをやっていた彼らを知っているから、驚きすら感じる。僕はまだまだ結婚なんて考えていないが(そもそも彼女がいない)、いつかちゃんと結婚ができるのだろうか。結婚しなくても幸せになれる時代だけど、新札の3万円を用意する度、世間から取り残された気がして、少しだけ寂しくなる。

だけど、だけれども、新札の3万円を用意するとき、やっぱり僕の心は嬉しい気持ちでいっぱいなのだ。

結婚おめでとう。言葉で直接伝えらるのはもう少し先になるから、新札の3万円にその気持ちを託すことにする。